家が完成すると、引越しなどで忙しく、海を見に行く事はなくなっていた。
新しく出来た2階の角部屋。
まだ家具も入ることがないその部屋は、生活感もなく、ただ物音が響くだけだった。
特注で作られた大きな窓にもカーテンなどかけることもなく、窓からはダイレクトに海が見える。
窓枠に何かがあるのをフランソワーズが見つける。
「桜?」
桜の花びらがまるで今落ちたように綺麗なピンク色をしてそこにあった。
ふと思い出し、海に向かう。
またどこからともなくやって来る気がした。
あの桜が満開の日に出会った記憶を失った彼の事。
いつも心の隅っこに引っかかっていた。
海が好きで
優しくって
頼りなくて…
違うんだと頭を振る。
彼とジョーをいつからか重ねていた自分に気づいたから、引越しの忙しさを理由に海に出なくなっていた。
この家が出来るのを、彼も楽しみにしていた。
家が出来ても来ないのだから、きっと記憶が戻ったんだろうと思った。
その夜海辺に人が集まっていた。
どうしたのかとジョーの部屋の大窓から見てみると、海辺が青く光っていた。
「あれは夜光虫だね」
ピュンマがフランソワーズの隣に並ぶ。
「夜光虫?」
「海洋性のプランクトン、大量発生するとああやって青く光るんだ。見に行ってみたら?」
フランソワーズは海辺に出てみた。
波打ち際に無数に青い光。
すっと誰かの手に触れた。
「あ、ごめんなさい」
見上げた先にはあの青年の笑顔。
「久しぶり、元気だった?」
「あなた…もう、記憶が戻ったのかと…」
「うん、お陰様で記憶が戻ったんだ。ありがとう。お礼を言いに来たら夜光虫騒ぎで、どうしようかな?と思っていたよ」
「そう…よかった。あなたは一体…」
「もう僕はここにいちゃいけないんだ。僕は存在しない人間だった」
「え?何?それって…」
「短い間だったけどありがとう」
青年はフランソワーズの手を握る。
そして手を離すとニコっと笑い、夜光虫を見ている人混みに紛れた。
「まって!まだ!」
フランソワーズは青年を追いかけたがすぐ見失ってしまった。
ジョーばかりか、その青年まで失ったような気がした。
「存在しない人間?そんなのウソよ」
フランソワーズは青年が握った手を広げた。
確かに存在した。
あの温もりは…嘘じゃない。
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